イエス・キリストからのメッセージ

日本キリスト教団小松教会

あなたを愛する神

小松教会牧師 松島保真

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

(C)日本聖書協会

聖書

 先日、電車に乗った時、私の周りにいた人全員が携帯電話を一心に見つめていました。老いも若きも男も女も目の前の人間とは一切関わらず、小さい画面をじっと見つめている。それはとても異様な光景でした。なぜ、あそこまで気になるのでしょうか。それはいつも誰かとつながっていたいからではないでしょうか。誰もが誰かに愛され必要とされたいと願っています。衣食住すべてが満たされても愛がなければ、人は本当に幸せになれません。

 しかし、人の愛には限界があります。歴史上繰り返される戦争は突き詰めれば愛の欠如の結果であり、また新聞やテレビで報道される多くの事件も結局は愛への渇望によって起こっているのではないでしょうか。また、わたしたちの一番身近な存在である親子や夫婦の間にも愛の破れがあります。ここに聖書の語るわたしたち人間の罪の姿があります。その罪とは、神を愛せず人を愛せないわたしたちの姿です。

 にもかかわらず、このようなわたしたちを神は愛してくださる、と聖書は語ります。聖書が一貫して告げていることは、神はあなたを愛しておられるということです。しかも「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して」おられるのです。神が先手を打って、わたしたちを愛しておられるのです。神の愛は、御子(みこ)イエス・キリストをわたしたちの罪を償ういけにえとして、この世にお遣わしてくださることによって示されました。本来ならば、わたしたちが償わねばならなかった罪を、神は主イエスの十字架の死によって赦してくださった。その赦しの中で、わたしたちは神を愛し人を愛する者へと変えられていくのです。

 この愛は、教会の礼拝において最もよくわかります。ぜひ一度教会に来てみてください。最初は戸惑うでしょうが、やがて礼拝全体を通して、神があなたを愛しておられることがわかってくるでしょう。これを最後まで読んだあなたが、教会を訪ね、そこで主イエス・キリストと出会い、神の愛を知り、その愛に満たされて生きることができますよう心から祈り願っています。


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