エステル記


第1章1節〜22節(クセルクセス王の酒宴・王妃ワシュティの退位)

2004年10月26日(火)
エステル記はエルサレム神殿再建から約30年後の物語で、舞台はペルシャ帝国です。主なる神様がエステルという一人の女性を用いて、異教徒の迫害から御自分の民を救われる、その神の摂理が主題です。ペルシャ帝国という異教の地にあっても、この国を隠れた仕方で支配しておられるのは主であり、主が御自分の民をその危機から救出されるのです。

第2章1節〜23節(エステル、王妃に選ばれる・モルデカイとエステル

2004年10月27日(水)
「クセルクセス王はギリシャ遠征に向かいサラミスの海戦で大敗を喫した」と世界史は伝えます。その王の心を癒してくれる王妃は今はなく、王の孤独が思いやられます。そこで侍従たちは「ワシュティに代わる王妃を」と進言しますが、これが王の意に適うところとなりました。・・・一方、捕囚民の子孫であるモルデカイは、両親のいないハダサ(=エステル)を引き取り、その後見人となっていました。ハダサ即ちエステルは姿も顔立ちも美しい娘です。彼女もまた王妃候補者としてスサに連れて来られ、一年間の美容の期間を過ごします。そして遂に、このユダヤの娘が王の前に立つ日が到来し、彼女は王の寵愛を受けることになるのです。――歴史の主が、ここペルシャの地においても生きて働いておられます。人間の様々な思惑の渦巻く中、決定的な所で手を打っておられるのは主です。主がエステルを王の下へと遣わしておられるのです。――今日、主はあなたを誰のもとへとお遣わしになるでしょうか。また誰を、主はあなたのもとへと遣わして下さるでしょうか。

第3章1節〜15節(ハマンの策略)

2004年10月28日(木)
元日銀総裁の速水優氏は敬愛すべき一人の信仰者です。国会では厳しい批判の声が飛んでくる中、速水兄は主の御力により頼んで責任を果たして行かれました。また、商談等で諸外国の著名人と会う機会も多く、そのたび毎に速水兄は「この人も主の御前には一人の罪人に過ぎない。十字架の前に赦されなければならない一人の人間なのだ」と思い、平常心で人と相対することができたそうです。――モルデカイも「自分が従うべきは主お一人である」ことを良く知っていた人です。それ故に彼はハマンを神のように仰ぐことを拒否しました。しかしその彼の態度が思わぬ形で波紋を呼んで行きます。怒るハマンは全ユダヤ人の迫害を決意するのです。――主に従う者を顧み、これを守り通されるのは主御自身である、とエステル記は語ります。今日一日、主の守りの中、主に従って歩みましょう。

第4章1節〜17節(モルデカイ、エステルを説得する)

2004年10月29日(金)
神の摂理を知らないエステルには、身の危険を冒して王に直談判する勇気はありません。その彼女に対してモルデカイが語った言葉が印象的です。「・・この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるに違いない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位まで達したのではないか。」主がどの様な準備を為し、今何を求めておられ、これからどうなさるおつもりかを強烈に告げる言葉です。摂理される神に従うことこそ、私たちの真実な歩みです。

第5章1節〜14節(エステル、王とハマンを招待する)

2004年10月30日(土)
神の摂理を知らず、己の名誉だけが関心事で、怒ったり有頂天になったりする私たちの姿が示されています。主よ、明日あなたの御言葉と御霊によって、この私を癒して下さい。

第6章1節〜14節(モルデカイ、王から栄誉を受ける)

2004年10月31日(日)
主なる神様の摂理の、何と奇しきことでしょうか。モルデカイを葬り去るために五十アンマ(約23m)もある柱を立てさせたハマン。「あとは王の許可さえ下りれば・・」と不気味な笑みを浮かべていたのかも知れません。しかし正にそこに、主の御手が働きます。王は、モルデカイが王暗殺計画を未遂に終わらせたことを知り、ハマンを王宮に呼び出します。ハマンは自らの立身出世を確信し「栄誉賞にはこれこれが宜しいでしょう」と述べ、知らずしてモルデカイ救出案を提出してしまいます。結果、五十アンマの柱だけが空しくそそり立つことになりました。――全能の主なる神の御意思が歴史の真っ只中に貫かれています。人間の悪しき企みが皮肉な形で阻止されています。そして、同じ全能の主が今も生きて働いておられます。私たちは、自らの人生をこのお方の御手に委ね切って良いのです。

第7章1節〜第8章2節(ハマン、失脚する)

2004年11月1日(月)
ハマンの悪しき企みはことごとく王の前に明らかとなりました。主なる神様がエステルを王の下へとお遣わしになり、この日まで事を運んで来られたのです。その主の裁きの下でハマンは悪しき企みを暴かれ、自ら用意した刑場へと曳いて行かれました。主の御旨に逆らう人間の末路がここにあります。――黙して刑場へと引き行かれた主イエスの下で、神様に罪の赦しを乞いつつ、善き意思の与えられることを祈りましょう。神様、どうぞ、私の心からハマンの悪しき企みを取り去ってください。そして、どうか今日一日、あなたから与えられる善き意思に生きて行くことが出来ますように。

第8章3節〜17節(ユダヤ人迫害、取り消される)

2004年11月2日(火)
ハマンは処刑され、その家はエステルに譲渡されたものの、全ての危機が過ぎ去ったわけではありません。ハマンの出した王の文書はなお生きているのです。3:13「急使はこの勅令を全国に送り届け、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、しかもその日のうちに、ユダヤ人は老若男女を問わず一人残らず滅ぼされ、殺され、絶滅させられ、その持ち物は没収されることとなった。」全百二十七州に布告された勅令です。エステルとモルデカイは協力し新たな勅令を発布して、この破壊的危機から全ユダヤ人を救いました。最後紫と白の王服を身に纏ったモルデカイが現れると、スサの都は歓声に包まれました。
「それはユダヤ人にとって輝かしく、祝うべきこと、喜ばしく、誉れあることであった。」エステル記の主題は歴史を支配し給もう“神の摂理”です。神様が「我が民を救う」と御決断されたなら、特定の人物を用い、この世の権力者をも用いて、救いの御業を為し遂げ給うのです。――今日一日、歴史と人生の主である神様と共に心安んじて生きましょう。

第9章1節〜第10章3節(ユダヤ人の復讐・プリムは運命の祭り・モルデカイの栄誉)

2004年11月3日(水)
本章全体の出来事は一体何であったか、それが22節の言葉に集中して表現されています。「ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。」ハマンがプルと呼ばれるくじを投げ、ユダヤ人絶滅を企てましたが、主はその企みをハマン自身の頭上にふりかかるものとされました。「それゆえ、この両日はプルにちなんで、プリムと呼ばれる」のです。この時以来、ユダヤ人はエステル記を朗読しつつプリムの祭りを祝い、たとえどんな深い悩み苦しみの中にあるとしても、神は必ず我らを守られるとの信仰を与えられてきました。――この喜びが今日のキリスト教会にこそ与えられています。22節は主日礼拝のことを語る言葉としてこう言い換えることが出来るのではないでしょうか。「キリスト者たちが敵(罪と悪魔と死)をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった日として、この日を主の食卓に与る祝いの日として、与えられた賜物を交換し、困窮の中にある人に施しをすることとした。」十字架と復活の王キリストの下で、私たちは真実な喜びに与ることができます。今日一日、この王なる主と共に、主に守られて、生活しましょう。


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